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バイクの整備手帳など趣味のブログ

上毛マグナカルタ ~38枚目~ 『め』

日本に於いて絹産業がいかほどのものであったか、

 

ここ最近のツーリングでずいぶん知る事ができた

 

上毛カルタの絹に関する札は5枚、

 

『き』『け』『に』『ま』そして今回で5枚目の札になりますぞ

 

 

上毛カルタ『め』

 

銘仙織り出す伊勢崎市~めいせんおりなすいせさきし~

 

伊勢崎も富岡・桐生に負けず劣らずな織物の地。

こと伊勢崎銘仙は大正~昭和にかけて人気を博した織物で、

その歴史は江戸時代にまでさかのぼる。

絹糸にならなかった、いわゆるB級品に草木染めを施した

『太織』が起源とされており、明治時代になると

機械化・分業化に伴って伝統的な柄はもちろん、モダンな柄も表現されるようになった。

手頃な値段で買えた事も相まって、たちまち普及したと伝えられている。

また、鉄道の発展も伊勢崎銘仙の普及に拍車をかけた背景にあるようだ。

 

 

んん!

 

 

右手の街灯は工事中かそれ…まだ灯部分の銅がピカピカだ

 

これがだんだん緑青で馴染んでくるんだな~

 

コンチハー

『いせさき明治館』

奥から管理職員さんが軽く説明してくれる

ここは診療所だった建物だそうで、

建造物そのものが展示物になっている

 

順路は応接室を横切る

和室に洋式家具の組み合わせと、カラフルな銘仙

大正ロマンを感じつつ…

 

診療室にも銘仙

お、正面のはなかなかシブイねぇ

紅葉の差し色が鮮やかだ

 

二階へあがる

南側へ向く廊下は陽当たりよく心地よい

 

上品に展示されてんね…なんかもっと服装整えときゃ良かったかな

タイミングに因っては銘仙に袖を通す事もできる

昔ここで羽織ってみたけど、結構軽い着心地で

じんわり暖かい…ちょっと硬めな印象だった

 

出口にはちょっとしたお土産を販売してた

案内してくれた方とぽつぽつ話す

…また来てみよう

 

お姉さん美人だったしな!!

 

お姉…じゃない!そしたらね~伊勢崎~

 

 

上毛マグナカルタ ~37枚目~ 『ち』

上毛カルタは歴史札、文化札、偉人札など

 

ざっくりと別ける事ができ、

 

それらは変わる事のない過去の出来事であると認識できるが

 

1枚だけ、現在を表す札が存在する。

 

その札が…これだァ…1・2・3!

 

上毛カルタ『ち』

 

力あわせる二百万~ちからあわせるにひゃくまん~

 

"力あわせる"までは共通、後に続く数字は群馬県民数で

年代によって変わる。

百六十万…1947年(昭和22年)

百七十万…1973年(昭和48年)

百八十万…1977年(昭和52年)

百九十万…1985年(昭和60年)

二 百 万  …1993年(平成5年)~現在

終戦から2年後に初版が発行されて以来、10万人毎に更新される『ち』の札だが

2022年度の県民数は191万人にまで落ち込んでいるそう…ウーム

また、この数字の変動はローカル紙の上毛新聞で都度取り上げられている。

県庁の傍らには、かつての県庁"昭和庁舎"が残る。

今でこそ33階建てのビルヂングを構えているが

こちらの昭和庁舎も、建設当時(昭和3年)は先進的な建築様式の佇まいで

県庁然とした贅沢でハイカラな造りであったと言える。

また、群馬県のマスコット『ぐんまちゃん』は

初代ぐんまちゃん→ゆうまちゃん→現ぐんまちゃん(2代目)へと推移、

2014年度にはゆるキャラグランプリ優勝の経歴を持っている。

 

 

んん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んん?!

 

少子化の影響か、県民数は減ってきてんだな…

 

ままま、県庁まで来たし付近を回ろうぜ

 

 

『るなぱあく』こと前橋児童遊園。

左側の飛行機のアトラクションが目印になる…カナー…

やや低い土地にある為、見落としがちかも

 

入園無料、アトラクションを楽しむ時に支払う仕組みになっている

 

1954年(昭和29年)に開園、2004年(平成16年)に一般公募で

現在の『るなぱあく』の愛称が加えられた。

萩原朔太郎の詩集『遊園地にて』に因んだ名前だそう。

 

るなぱあくと言えばこの木馬館

開園当初から稼働する、子供に人気のアトラクション

昔は建屋もウェスタンでシブイ仕上がりだった…

あの頃からずーっと10円。

 

赤兎馬(勝手に命名)

形を変えず何度も修理されながら、今日も稼働中!

大人は乗れないハウスルール!

 

鞍がかなり凝っている。

これは職人さんがこの木馬の為だけに作った鞍だそうで

木馬から取り外して手入れできるようにもなっているそう。

 

さらには期間限定で木馬館フィギュアが販売された事も!

デラックスな建屋付きのセット売りもあったが、

とんびは1つだけ購入…なんか乗ってるのは置いといててて

閉園の危機もあったとの話もあるが、

じゃあウチが!と管理に名乗り出てくれた人もいたそう

 

この木馬館をはじめ、多くのアトラクションは今の子供たちはもちろん

その親御さんやもっと上の世代にまで親しまれている。

そうして育った子供たちがまたその子供を連れて来るような

広い世代に愛される場所が、他にもたくさんあるんだろうなぁ…

 

ままま、群馬は田舎と言えど限界集落・都市とは呼べない発展を遂げている

 

190万人もいればその一歩の足踏みを揃えるにも時間はかかるだろうしな!

 

親子連れひしめく遊園地へ単独入園した

とんびは力あわせる百八十万の世代です、、、ぐぉぉ…

 

またな~ぐんまちゃん!!

 

 

上毛マグナカルタ ~36枚目~ 『ね』

妙義山をひと山として安中市と隣り合う富岡市

 

松井田インター開通に伴い、一般道も南北のアクセスが大幅に改良

 

迂回せずに市をまたいだ観光やツーリングに繰り出せるワケだな~

 

中山道を外れて南へ向かうと、富岡市下仁田町

 

 

マグ公や!トコトコ札取りしてこうぜ~

 

上毛カルタ『ね』

 

ねぎとこんにゃく下仁田名産~ねぎとこんにゃくしもにためいさん~

 

県内には各地市町村で特産物・特産品と呼べるものがあり、

上毛カルタに親しんだ県民の間で特産物と言えば

この下仁田町のネギと蒟蒻が支配的である!

下仁田ネギはかつて高級食材として求められ、

高崎藩や江戸から発注が相次いだという話もある。

『殿様ねぎ』とまで呼ばれたそうな(!)

下仁田町群馬県南西部に位置し、妙義山荒船山に囲まれた地形は

水捌けの良い傾斜が続く土地の為、蒟蒻作りに適しているそう。

また、地元では蒟蒻の成分をそのまま粉にしたグルコマンナンで有名な

(株)マンナンライフ、(株)オリヒロは経済の一端を担っており

上信電鉄下仁田駅にはマンナンライフ号が発着。

昨今では下仁田インター、下仁田道の駅、さらにはR254バイパスの整備などを受け

夜道に漆黒が迫る辺境の片田舎という雰囲気は打破されている。

 

 

んん!

 

昔の夜の下仁田は、自販機すら無くて本気の闇だったな…

 

下仁田町を走る

 

全部が全部ネギ畑やコンニャク畑ではないけど

 

その頻度はかなり高い

 

ちょっとしたスペースがあれば即ネギ畑が見える

 

お隣県同士で深谷ネギと比較される事が多いけど、

 

これはそれぞれ良いに尽きる

 

深谷ネギは鍋で、下仁田ネギは焼きで良さが際立つと感じる

 

下仁田駅

 

なんとなく寄ってみたけど、関東の駅百選認定駅だそう

 

ままま、ひなびた駅舎ではあるね

 

富岡製糸場や絹産業遺産の観光案内がされている

 

ポスターなど貼りモノがすごいんですけどwww

 

こういう雰囲気は好きだけどもなんかワロタ

 

 

駅の東側に何やらレンガ造りの建物

 

下仁田レンガ倉庫

大正時代に建てられた繭の保管庫だそう

ここも絹産業遺産群のひとつなんかな

 

マグナ連れてきた

そのうち舗装工場とかされるんかねぇ…されるといいねぇ

 

倉庫の手前には建屋

これは昭和倉庫とか?

 

下仁田駅周辺は古い住宅街で、交通の便はあまり良くないけど

 

入り組んだ路地に突然ドラッグストアが現れたり

 

土地が整備されてお洒落なお店になってたりで

 

時間を掛けて開発されて行くんかな

 

そんな下仁田の駅前も見てみたいかも知れない

 

学生時代、初めてマグナで遠くへ行った土地はここだったなぁ…

 

駅前の古い小さな町並みに詫び錆びを感じたもんです

 

あばよ下仁田、また来るぜ~!

上毛マグナカルタ ~35枚目~ 『う』

安中宿杉並木からさらに西へ、松井田宿を抜けて中山道を行けば

 

坂本宿を目と鼻の先に据える横川に到着

 

この路地を左折すると横川駅

駅前には荻野屋の店舗があり、旅のお供に釜めしいらんかね~と

出汁の香りが呼び止める

 

 

R18側には荻野屋本店

横川は釜飯で有名かな!

看板商品の釜めしをはじめ、イートインも設置

力餅を筆頭に各種銘菓やご当地ガチャなるモノも展開

 

お土産に力餅買ってくか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…また、付近には鉄道関係の車輌を展示する鉄道文化村があり

両毛電鉄を走った車輌とその歴史を解りやすく振り返る資料がある

 

先の水上で見たD51高崎駅を経由、ここ横川駅まで登り来る

 

 

 

横川駅を過ぎると関所が見えてきたぞ

 

さて行くとするかマグ公、札取りよ!

 

上毛カルタ『う』

 

碓氷峠の関所跡~うすいとうげのせきしょあと~

 

1628年に江戸幕府によって設置された碓氷峠関所。

昭和35年、関所跡に東門の姿が復元された。

こと、重要な交通機関であった中山道の関所は

東西の門をそれぞれ安中藩と幕府が管轄し、いわゆる『入鉄砲出女』を監視していた。

安政遠足マラソンの際には、関所祭りが開催される。

敷地には小さな資料室があり、中山道七宿の概要に触れる事ができる。

群馬県指定文化財

 

 

んん!

 

 

資料室見て行こう!

 

中では手形の写しなどの資料を展示

…ままそうなるわな…

 

 

壁に掛けられた額には中山道七宿の版画

こういう浮世絵?良いよな~

本棚にある東海道五十三次の美術本を見返すと

宿場町を調べる前とは見え方が少し変わった…カナー…?

 

資料を集めるなら図書館やウェブでも良いけど、

 

誰かに聴く話からは、資料以外の情報も得られる事があるし

 

質問できるのが良いところだな~

 

ほぼ世間話になるんだけどね!

 

また通るかんね~

 

 

上毛マグナカルタ ~34枚目~ 『な』

このまま中山道を行くんべえや!

 

ここ数年でめっきり感動する事が減ったと感じていたけど

 

今までの視点ではそうであったというだけで、

 

感動的な事はその辺に散らばってんだよなぁ

 

その散らばってるモノをうまく見つけていきたいもんだ…

 

 

 

おーここだ、サクッと札取りしてな!

 

上毛カルタ『な』

 

中山道しのぶ安中杉並木~なかせんどうしのぶあんなかすぎなみき~

 

江戸時代の五街道である中山道は、7ヶ所の宿場町を有し

新町宿から坂本宿を抜けて碓氷峠へとつないでゆく。

中山道沿いに並ぶこの杉並木は、1604年~1686年の間に植樹を開始。

1844年には732本あった杉も、現在では13本にまで減少しているが

安中市民には馴染みのある場所であり、上毛カルタを通じて

多くの県民が知る並木である。

また、安政遠足(とおあし/マラソン)のコースにも含まれている件もあって

昨今では他県からの参加者やギャラリーからも知られる所となった。

国指定天然記念物。

 

 

んん!

 

安政遠足…毎年プリキュアのコスプレして走ってる人がいたな…

 

杉並木付近には安政遠足のイラストが描かれた給水施設

 

中山道に於いて登坂の起点となる安中宿は

 

通学にもマグナにとっても試練そのものだったなぁ…

 

並木は、夏には日陰やクーラーの役割を果たし

 

冬には防風と雪をしのぐ傘となる

 

通行人にとって有り難い場所であったに違いなかろう…

 

 

歩道には安中杉並木の案内が掲示されている

 

掲示のされ方が面白い

 

植え継ぎの履歴が記録されている

 

 

 

まだ植えられてそう間もない杉もちらほら

 

この杉並木を保護し継続して行こうという呼び掛けと、取り組みへの姿勢が伝わってくる

 

自販機コーナーも日陰もあるし!

 

安中宿はミニバイクに丁度良い塩梅だぜこいつぁ!

 

帰りにまた通るかんね~

 

上毛マグナカルタ ~33枚目~ 『へ』

東邦亜鉛を左手に、中山道は安中宿を行く!

 

端的に言えば中山道碓氷峠まで弛い登坂が続く道

 

こと、高崎宿~安中宿の道中でそれは顕著になっている

 

今のマグナならグングングイグイ登って行けるな!

 

安中宿では古い建物がたくさん残されているんだな~

 

蔵、煙突、赤レンガの倉庫…いずれ訪ねる事として

 

目的地に到着!

 

 

上毛カルタ『へ』

 

平和の使途 新島襄~へいわのつかい にいじまじょう~

 

地元では安中教会や新島学園でその名に触れる機会が多い新島襄

江戸時代に合衆国で学び、日本にキリスト教を広めた人物。

渡航禁止の時代に密航(!)、合衆国の教育とキリスト教に関心を持ち、

宣教師として帰国。

高い英語力を木戸孝允に見出され、通訳としても活躍

後に同志社大学を設立、明治六大教育家を顕彰。

大河ドラマ『八重の桜』ではオダギリジョーが演じた事が記憶に新し…10年前かよ

 

 

んん…

 

矢吹丈か島村ジョーしか知らなかった当時、

 

そういえば新島襄もジョーだなぁくらいにしか思っていなかったけど

 

なかなか破天荒な事した人だったんか、外国渡航禁止の時代に密航とか…

 

 

新島襄安中市にいた時に住んでいた家屋を訪ねた

 

土間からは納屋と和室が見える

 

奥には拓本がある…荒い拓本だなぁwわざとこうしたのかな…

 

奥の間は資料室になっていた

 

郷土の資料が多めに展示してある

カメラが登場した時代ではあったけども、

昔の人の写真には毎度よく残ってるな~と驚く

 

廊下を突き当たった先は管理人たちの詰所

 

この日は1人の方が草刈りをしていた

自分もバイク乗りだが、娘に猛反発されて泣く泣く手放し

今はトライクだそう…それは許されるんだw

 

家屋裏手には看板

 

開港場を除くと、安中市は国内のキリスト教初伝の地であると書かれている

 

へぇ~!

 

あ、そうだ思い出した

 

昔の安中の小中学校はお祈りがあったりしたとか聞いたけど

 

そこに由来するのかなぁ…

 

んん!

 

安中にはまた別件で来る事になるだろうから、

 

その時に調べてみるか!

 

また何処で学ばしていただきますよ~

 

 

マンホールとドライマティーニ

そういえば伊香保頭文字Dのキャラクターマンホール蓋があった

 

初めてカラフルな蓋を見た時はマンホールと思わなかったなぁ…

 

上手いこと歩道に馴染んでると思う

 

観光地にあると、お!っと気を引かれる

 

中にはポケモンGOとタイアップした『ポケふた』なるものもあるようで、

 

下駄やハイヒールの天敵でしかなかった歩道のマンホール蓋も

 

良い意味での目立つ新境地を開拓して久しい

 

 

今月は寺沢武一逝去の報にガックリ、

 

病気で車椅子生活になったり

 

悪どい家政婦に付け入られて気の毒だったり

 

その晩年は心配な事態に見舞われてたけども…

 

代表作の『コブラ』は、好みが別れる作品のようで

 

とんびの周りに読者やアニメの視聴者はいなかった

 

アニメの視聴はローカル局の再放送だったけども!

 

洒落の利いたセリフ、仲間或いはライバルとの粋なやり取り、

 

そのハイセンスな世界観には

 

"大人になったら、こんな雰囲気を持ちたいな"と思ったもんです

 

…なってないけどね!!!

 

コブラの言い回しをするには頭の回転が必要、

 

時に下世話で、時に高尚な例えがポンとでてくる…

 

んんwww

 

ままま、せいぜいお酒をスマートに飲める大人にはなれそうかな!

 

 

 

マスター『いらっしゃい』

 

とんび 『いやぁ~ちょっとショックな事が』

 

マスター『あ、コブラの話はいいから』

 

とんび 『…ゴクウの話にするか!』

 

マスター『知らない!』

 

とんび 『あ、ブンブクが出てくるタケルにするか!』

 

マスター『いらない!!』

 

 

マーティニを頼むよ、ウンとドライにしてくれ

 

マスター『マティーニね』

 

今後ともマーティニと注文するぜ、どこのカウンターでもね~

 

閑話休題